無能な働き者は処刑するしかない
普通の一日
休みだ。皮膚科が定休日だったので明日行くことにした。
シーツや服をコインランドリーで洗濯した。わざわざ外出したのは、陽の光を浴びる必要性を感じたため。
洗濯中、商店街に行って、素朴な洋食屋さんでハンバーグを食べた。なんの感動もない味がよかった。
いまは乾燥機を回している。その間に薬局に行き、タバコの消臭剤やトリートメントなど必要なものを買い揃える。
乾燥が終わったら、また家に引きこもって横になっているのだろうけど、なにもない一日に何かをした達成感は残ると思う。
人と関わること
日記
夜、カフェバーで働いている。
終電で上がるにしても帰ってくるのはいつもこの時間だ。
酒にしても、咳止めにしても、今日は飲むまい今日は飲むまいと毎日思う。そして、毎日飲んでいる。
現実が鬱だから、躁になりたい。あるいは、自分を痛めつけるのが好きで仕方ない。
咳止めのカフェインで胃はボロボロだし、毎日酒ばかり飲んでいたら肝臓もおかしくなる。おまけにヘビースモーカーで肺は真っ黒、私の内臓年齢はもはや老人と変わりないだろう。
仕事は楽しい。人間関係も良好。なのにこんなに虚しいのは、鬱病だからだろうか。
私はいつも自分のキャパシティを超えて、人の期待に応えようとしている。これを過剰適応という。エヴァンゲリオンのアスカなんかがそう。自分の価値を自分の存在ではなく、付加要素に見出している人が陥りやすい。
いつもいつも過剰適応しているから、常に疲れている。
精神科医に言われて印象的だったのは、「あなたは普通の人が100%の力を出し切っても80%の結果しか出せないところを、120%の力でやって100%やり遂げてしまう」ということ。
なまじ能力があるものだから人に助けを求めない。一人でやれるんだから、一人でやろうとする。私は誰も信頼していない。
酔いが回ってきたのでここまで。
推敲はしたくない。そのときの気持ちを全部書いてしまいたい。